テクノユートピアの幻想

「インターネットが世界を変える」は本当か

インターネットが世界を変えてきているのはある意味本当だと思うのですが、昨今の論調はいささか極端すぎるというか、ともすると逆に物事を矮小化しすぎているような気がして違和感があります。日頃それなりに名の知れたアメリカのIT企業で働いていると、結構どうでもいいことでも「インターネットでなんとかならないか?」という質問を良く受けますし、実際私の周りにもITの力で将来はどんな不可能も可能になるということを信じている論客に出会うことは多いものです。

AIでもIoTでもなんでもいいんですけど、ただの新技術をなにか神がかったすごいものだと過剰評価してそれに楽観的な将来像や妄想を重ねることを、私は広義な(そして卑近な)意味で「行きすぎたテクノユートピア」的な思想の一端であると思います。

「ジャスミン革命はインターネットが起こした」

2010年に起きたチュニジアの民主化運動について、これはfacebookなどソーシャルが起こした革命であると論じるメディアは当時から多かったと記憶しています。なんせWikipediaにすらそう書いてあるw

ここでインターネットが民主化の引き金になったとユートピアを信じるのも結構なんですが、とりあえずビジネスマンとしてはエビデンス当たらないとマズいもんで調べてみると、これ当時のチュニジアのインターネット普及率。

年度 インターネットユーザ数 人口 普及率(%)
2000 100,000 9,666,900 1.0 %
2006 953,000 10,228,604 9.3 %
2007 1,618,440 10,342,253 15.6 %
2008 1,765,430 10,383,577 17.0 %
2016 5,800,000 11,134,588 52.1 %
データ出典:Internet World Stats (http://www.internetworldstats.com)

この情報を信じるなら、雑に見積もっても2010年当時のインターネット普及率って20%ぐらいですかね。これってむちゃくちゃ低く無いですか?ちなみに2015年時点でヨーロッパで最もインターネット普及率が低いレベルにあるウクライナでも2010年当時は34%、同じく現在も普及率の低いモルドバが2010年当時は30%。公平に言ってもチュニジアのネット普及率ってすごく低くて、とてもじゃないですがみんながインターネットに影響されて行動したというレベルとは程遠い印象です(2015年前後からは急激に伸びてますがこれは革命後のコト)。ちなみに、選挙のたびにネットで盛り上がった無所属候補が無残にも泡沫候補として散る我が国日本ですら、2010年当時の普及率は78%、そして2016年は91%にも上りますが、それでもネットの論調が実際のリアルな世論や選挙結果と大きな乖離があることはいいかげん皆さん学んだと思います。

「アメリカ大統領選に見るネットの落胆」

先日のアメリカ大統領選、まさかトランプが勝つとは私も思っていませんでした。そう信じていた理由の大部分は「自分の身の回りのアメリカ人がみんなトランプに反対していたから」。ポイントは、アメリカの世論では無くて自分の周囲にいるアメリカ人、それは多くがシリコンバレーのIT企業に勤めている高学歴の白人あるいはアジア系アメリカ人で、ダイバシティとかそういうものを信じていてソーシャル上での発言も旺盛なオンラインでの偏った世論だったわけです。一方で私自身も大統領選に投票権があるわけでもないから特に裏取り調査とかしたわけでもないですし、てっきり身の回りを飛び交う議論だけをネット上で横目でみて、これはヒラリーだなと思い込んでいただけなわけで。実際の結果は皆さんご存知の通り。なんかここ最近の日本の選挙の結果もデジャヴではありますがw

「実はテクノユートピアこそが現代の情弱である」

誤解を恐れずに言うと私は新聞取ってませんしテレビもほとんど見ません。必要な情報を自分でサクッとネットで拾う生活なので、君の名は。も逃げ恥も観てませんが、世の中で流行ってるってことは知ってます(苦笑)しかしこれは実はあまり自慢できることではなくて、単に自分の情報入射量がすごく偏っていて、実はそれほど情報のシャワーを浴びているわけではないことに他ならないと思っています。そんな状況を少しでも軽減するために、私は多くのポータルサイトをトップページから斜め読みするようにしていて、自分と考えや興味を同じくする人で固められたソーシャルからのみ偏った情報を得ることは避けるようにしています。

「不便さや予期しないイベントは学びを与える」

思えば子供の頃、図書館とか本屋で偶然目にしたり、先生に無理やり読めとか言われて渡された本で思いがけず出会った知識や感動はどれほどのものだったでしょう?ボケーっと観てもいないテレビをつけっぱなしにしていて、たまたま観た映画やCMから新しく学んだ情報量はどれほどあったでしょうか。元々はほんの一部(というかテレビ欄・・・)しか興味がない新聞を毎朝なんとなく眺めることで、意図せず地球の裏側や自分とまったく違う立場の人々の生活などを知る機会はたくさんあった気がします。自分のフォローしている人=自分と何かしらの価値観を共有している人からだけ得られる情報は、こういった過去に存在した無意識の情報シャワーに比べると大幅に偏っていることは自覚しておく必要があります。その分興味がある内容についての議論や理解は深さを増すことができるという反論もあるかもしれませんが、古今東西正確な判断を下すためには持っている情報量は多いに限るというのは真理です。いまだに欧米の高等教育、MBAとかはアホほど本やらケースを読ませて興味あろうがなかろうが議論させまくる詰め込みなのはそのためです。

「ネットがあれば新聞やテレビなんて要らないさ」(キリッ

そんな人には私はこっそり言いたい。まあ新聞やテレビに頼らなくてもいいかもしれないけど、手にする情報量が少ないことはなんの自慢にもならないよと。

最後に、強いて一点だけテクノユートピア的な希望の光を述べるとしたら、インターネットのおかげで情報が到達するまでの時間、距離的制約はほぼ無くなったよねと。ぶっちゃけチュニジアなんてどこにあるか知らなかったもん。ジャスミン革命におけるインターネット最大の貢献は、遠くにいる我々のような人間が、いまチュニジアで何が起きているのかをより早く知ることができるようになった、ということのような気がします。大統領選開票結果もリアルタイムでオフィスの机から見れたし。チュニジアの若者は仮にfacebookが存在しなかったら電話で連携したでしょうし、今日もアメリカの田舎ではオフラインの集会で草の根活動をしているトランプ支持者が大勢います。ぼーっとタイムライン見てるだけでじゃ未来は訪れんよ。

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